今日も一日お疲れ様です。
ユキピロです。
2020年末ステイゴールドを子系統確立しました。
ステイゴールドは1994年生まれの日本の競走馬および種牡馬です。
父サンデーサイレンスは日本の血統地図を塗り替えたと言われる稀代の名種牡馬。
母ゴールデンサッシュはディクタス産駒で、G1馬サッカーボーイの全妹という良血牝馬。
父サンデーは言わずもがな、母父ディクタス、母母父ノーザンテーストも社台グループの柱と言える種牡馬で、本馬はその結晶とも言われています。(個人的にはトニービンが入るとより完璧でしたが)
父、母父共に気性難が有名で、本馬もその気性難を受け継ぎ、後肢で立ち上がり周囲の馬に乗り掛かろうとする、騎手を振り落とす、コーナーを逆に曲がる、競走中に他馬へ噛み付きにいく、などなど気性難エピソードに事欠きません。
本馬は1996年12月の2歳戦でデビューしますが、気性難のためか出世が遅れ、6戦目の1997年5月にようやく初勝利を挙げます。
続くすいれん賞(500万下)を勝利すると、1戦を挟んだ阿寒湖特別(900万下)を勝利し、トライアルの京都新聞杯(G2)では4着と好走、クラシック最後の一冠・菊花賞に挑みましたが、8着と惨敗しました。
その後は4戦連続2着で、勝利できなかったものの着実に賞金を加算し、晴れてオープン馬となりました。
1998年春、陣営は満を持して古馬G1戦線に殴り込みをかけ、 3戦連続2着と惜しいところまで行きましたが、G1を勝利することができませんでした。
本馬はこのころから、競馬ファンの間でネタ馬として人気が出てきました。
その後も時々着外を挟みながら、2着・3着を量産、 ファンからの人気が高まる一方、重賞はもう勝てないのではないかとささやかれ始めた2000年初夏、ついに陣営は主戦騎手熊沢重文から武豊への乗り替わりを決断します。
乗り替わり初戦目黒記念(G2)では、ハイペースな流れを最後方で進み、最後の直線で追い込みを開始すると、2着に1馬身1/4差を付けて悲願の重賞初制覇を果たしました。
3歳時に勝った阿寒湖特別(900万下)以来約2年8カ月ぶりの勝利で、その間の連敗数は28回、うち重賞での2着・3着はそれぞれ7回ずつありました。
翌2001年初戦の日経新春杯(G2)で重賞2勝目を挙げると、ドバイへ遠征を敢行、ドバイシーマクラシック(G2)に出走しました。
レースではブービー人気の低評価を覆し、1番人気馬ファンタスティックライトを、ゴール寸前で交わして海外重賞を制しました。
この勝利は日本調教のサンデーサイレンス産駒として初の国外重賞勝利でした。
この後、国内でG1勝利を目指すものの勝ちきれず、通算50戦での引退が決まりました。
引退レースとなったのは、香港国際競走の香港ヴァーズ (G1)で、本馬は一番人気に支持されると、人気に応えて念願のG1制覇を果たしました。
同時に、日本の厩舎に所属する日本産馬として初の国外国際G1制覇ともなりました。
種牡馬入りすると最初こそ期待されていなかったものの、グランプリ連覇のドリームジャーニー・三冠馬オルフェーヴルの兄弟、G1 6勝のゴールドシップなどGⅠ勝利馬を数多く輩出し、サンデーサイレンス系の後継種牡馬としての地位を確立しました。
ウイポ的血統の特徴は父、母父ともに無系統でどうやっても無系統のままです。
少数精鋭の史実産駒のお陰で、サンデーが氾濫している状況でも血統支配率を伸ばしやすく、他のサンデー系に比べると確立しやすい方です。
本プレイではサンデーサイレンスを確立しないというミステイクのせいで、ヘイルトゥリーズン系の支配率が日本で30パーセントを超えるという異常事態のため、ツールを使用しアメリカに避難させての確立です。
種牡馬としての能力は良い方で、SP「69」子出「9」成力「持」サブパラ「S3A2B3」ですが、競走馬のうちに無茶苦茶成長するので、所有して成長させましょう。
以上です。皆様のお役に立てると幸いです。

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