【WP8 2018】メジロ牧場繁栄記11 1992年~93年 ダイジェスト

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 今日も一日お疲れ様です。

 ユキピロです。

 メジロ牧場繁栄記11はじめていきます。

目次

 ▶1992年ダイジェスト
 ▶1993年ダイジェスト

1992年ダイジェスト

・誕生史実馬

 1992年の史実馬には「メジロエルナス」がいます。

 史実の本馬はどこにでもいる条件馬といった戦績でしたが、繁殖にあがりメジロ牧場最後の重賞馬

メジロマイヤー」を産んだことで、収録されているのだろうと思います。

・引退馬ピックアップ

 メジロマックイーン

 戦績は29戦22勝(G1 15勝)で春古馬3冠を達成しました。

 晩成のため3歳時は苦戦しましたが、4歳夏から本格化しました。

 長距離G1ではほぼ敵なしで調子に乗ってG1を15勝もしてしまいました。

 引退し種牡馬として頑張って貰います。瞬発力をD+で抑えることができたので、疾風配合が成立します。

・系統確立

 1992年末にリマンドが子系統確立しました。

 メジロモンスニー産駒を大量生産したおかげです。

 リマンド自体の支配率は本プレイの目標であるメジロの支配率には加算されませんが、モンスニーが種牡馬として使いやすくなったり、マックイーンの血統表が豪華になるので確立しました。

 リマンドは1965年にイギリスで生まれたサラブレッドで、G1には届かなかったものの重賞を4勝しました。

 1969年に種牡馬として日本へ輸出され、日本ダービー馬オペックホース、オークス馬アグネスレディー、テンモン、エリザベス女王杯を勝ったタレンティドガール、大井3冠のサンオーイなど、多くの活躍馬を輩出しました。

 短距離からダートまでどんなタイプも出す万能種牡馬でしたが、特にスタミナに優れた産駒を多く輩出しました。

 しかし、近代のスピード競馬についていくことができず、父系は断絶してしまいました。

 調べた限りではサンオーイ産駒のトミシノポルンガが最後の種牡馬となり、その産駒が2006年まで現役だったようです。

 ただ母父としてメジロデュレン、メジロマックイーン兄弟を輩出し、オークス馬アグネスレディーの子孫からアグネスフライト、アグネスタキオン兄弟が出たことで、リマンドの血は現在でも脈々と受け継がれています。

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1993年ダイジェスト

・引退馬ピックアップ

 メジロパーマー

 戦績は31戦18勝(G1 8勝)でした。

 黄金世代の最後の一頭もここで引退となりました。

 このゲームの仕様上「逃げ」作戦はかなり安定して結果を出すことができるので、賢さが低い割には安定していたと思います。

 父メジロイーグルの種付け料も上がりましたので、素晴らしい活躍でした。

・系統確立

 1993年末にメジロアサマが子系統確立しました。

 メジロアサマは当時3200mだった天皇賞(秋)を勝ち、種牡馬入りする際にシンジケートが組まれるなど、内国産種牡馬としては期待された存在でした。

 しかし、初年度に種付けした牝馬がいずれも受胎せずシンジケートは解散、授精能力すらも疑われるなか、メジロ牧場の総帥・北野豊吉オーナーは「アサマの仔で天皇賞を」との一念で牧場の有力牝馬を配合し続けました。

 執念にも似た思いが実を結び、メジロアサマは生涯で19頭の産駒を送り出すことに成功しました。

 その産駒の中に天皇賞(春)を勝ったメジロティターンがいて、メジロマックイーンの父子三代天皇賞制覇につながります。

 このゲームでは普通に受胎するので、系統確立も可能となります。

 支配率は日本で5.1%でした。

 ようやく目標のメジロ冠名の種牡馬が系統確立しました。

 ここからさらにスピードをあげていきたいと思います。

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